効率化だけの医療DXでは、医療者も患者も救えない

人生にとって意味のある医療を、現場が続けられる構造にするために

在宅医療に携わるようになってから、私の中にずっと残り続けている問いがあります。

「この医療は、本当にその人の人生に向き合っているのだろうか」

病院医療では、目標が比較的明確です。検査上の数値を改善する、症状を取り除く、再発を防ぐ、生命を延ばす。それらは医学として重要であり、私自身もその現場で多くを学んできました。

一方で、在宅医療の重心は少し異なります。
在宅医療のゴールは、「治すこと」そのものではなく、その人にとっての”より良い人生”を支えることにあると感じています。
意思決定の基準は、医学的な正しさだけでは足りません。
本人の価値観、生活、家族との関係、そして何を大切にして生きてきたのか。
そこを踏まえなければ、医療は独りよがりなものになってしまいます。

ある患者さんの最期──意思決定がされないまま

80代の男性がいました。肺炎を繰り返し、嚥下機能も低下していました。

訪問看護師は日々の会話の中で知っていました。「孫の結婚式まで生きたい」と。しかし、その情報は医師に伝わっていませんでした。カルテには「肺炎既往、嚥下障害」としか記載されていなかったからです。

医師は医学的な最善として、胃瘻を提案しました。家族は迷いながらも同意しました。

結果として、その方は胃瘻を造設し、施設に移りました。
孫の結婚式には参加できませんでした。
意識レベルが下がり、最期は誤嚥性肺炎で亡くなりました。

「孫の結婚式まで」という願いは、誰にも共有されないまま、消えました。

これは医療ミスではありません。
でも、誰も望んでいなかった終わり方でした。

耳鼻咽喉科・頭頸部外科医として病院勤務していた頃、社会的に孤立しがちな患者さんの最期を多く見てきました。
その経験が、「医療とは何か」という問いを、私から離れないものにしました。

現場は使命感で支えられています。だからこそ、壊れやすい

医療や介護の現場は、強い使命感によって支えられています。その献身があるからこそ、今の日本の医療は成り立っています。

しかし同時に、それは摩耗しやすい構造でもあります。
責任感が強い人ほど無理をし、無理をした人ほど現場を離れていく。
医師が美容や自由診療へ向かうこと、看護師の離職が後を絶たないことは、決して個人の問題ではなく、構造の問題だと感じています。

近年、医療者側のQOLや働きやすさが重視されるようになりました。
これは当然の流れです。ただし、ここで一つ注意しなければならない点があります。

「業務を効率化すれば、患者さんに向き合う時間が増える」

この言葉は正しそうに聞こえますが、必ずしも真実ではありません。
時間が空いたからといって、必ずしも人は理想的な行動を取るとは限りません。

私自身も例外ではないと思っています。
だからこそ私は、会社のビジョンを最初から明確に定めました。

「医療に、人と人生に向き合う力を取り戻す」

効率化は目的ではありません。向き合うべき方向へ自然と進める構造を作ることが目的です。

電子カルテは、なぜ仕事を増やしたのか

ここで、多くの医療者が経験している矛盾について触れたいと思います。

電子カルテは、紙のカルテを置き換えるために導入されました。
「記録が検索しやすくなる」「情報共有がスムーズになる」と期待されました。

しかし現実には、多くの現場で業務が増えました。

なぜか。

電子カルテは「入力の効率化」に焦点を当てたからです。
テンプレート、プルダウン、自動入力。確かに入力は楽になりました。

でも、入力したデータが、意思決定にどう使われるか──ここが設計されていませんでした。

結果として、カルテは「埋めるべき項目」が増えました。
加算要件を満たすための記載、法的に必要な文言、システムが求める形式。

医療者は、患者さんのために書くのではなく、システムのために書くようになりました。

そして、本当に大切な情報──患者さんの価値観や生活の文脈──は、依然として口頭やメモに頼ったままです。

私は、この過ちを繰り返したくありません。

記録の本質は、作業ではなく「共有」と「意思決定」にあります

在宅医療は、多職種連携が前提です。
医師、訪問看護師、ケアマネジャー、介護職。それぞれが専門性を持ち、役割を分担しています。

しかし現場では、職種ごとに異なるシステムを使い、情報は分断されています。互換性のないツール、個人単位の訪問、属人化した記録。申し送りは口頭や断片的なメモに頼らざるを得ず、情報の質にはばらつきが生じます。

丁寧に記録すれば時間がかかり、持ち帰り残業になります。効率を優先すれば、内容が薄くなります。そして最も問題なのは、チームとして同じ患者さんを見ているという感覚が失われることです。

私はここで、はっきりと感じました。

記録とは、入力作業ではありません。
チームが同じ現実を共有し、同じ基準で判断するための基盤です。

音声AIを「時短ツール」で終わらせないために

私たちが開発しているのは、訪問看護を入口とした音声AIツール「kowairo」です。

録音し、文字起こしを行い、記録を作成する。この部分だけを見れば、似た仕組みは他にもありますし、模倣も可能です。

しかし、私たちが目指しているのはその先です。

kowairoが実現する3つのステップ

ステップ1:記録の質を均一化する

訪問看護師が患者さんと話した内容を録音するだけで、AIが構造化された記録を生成します。ベテランも新人も、同じ品質の記録が残ります。属人化を防ぎます。

ステップ2:関係者へ自動的に共有する

生成された記録は、医師、ケアマネ、介護職へ自動的に共有されます。職種間の壁を越え、全員が同じ情報を見ることができます。

ステップ3:意思決定を支える情報に変える

会話の中に含まれる「本人の価値観」「生活の文脈」「願い」をAIが抽出し、構造化します。これにより、チーム全体が「この人にとっての最善」を判断する材料を持つことができます。

出口の設計がなければ、どれほど便利でも現場は変わりません。電子カルテが、紙を置き換えた結果として業務を増やしてしまった過去を、私は繰り返したくありません。

在宅医療のゴールは、病気ではなく「その人の幸せ」です。

在宅医療における治療のゴールは、その人の人生にとって意味があるかどうかで決まるべきだと考えています。

そのためには、病名や処置だけのカルテでは不十分です。本人が何を大切にしてきたのか、どんな生活を送りたいのか。そうした情報が、チーム全体で共有されている必要があります。

私はこれをイメージとして「マンダラチャートのようなもの」と表現しています。日々の会話や雑談の中に含まれる価値観や生きがいを、AIが拾い上げ、構造化する。

「孫と過ごす時間が何より大切」
「本当はもう一度旅行に行きたい」
「延命よりも、自分らしさを保ちたい」

これらが共有されることで、医療者はより良い提案ができます。家族は対話しやすくなります。そして現場にとっても、患者満足と労働時間が対立しない状態が生まれます。

私は、この両立を構造として実現したいと考えています。

なぜ訪問看護から始めるのか

医師向けのプロダクトの方が作りやすいことは理解しています。私自身が医師だからです。

それでも、初期ターゲットを訪問看護に定めました。理由は明確です。

業務負担が大きく、改善効果が分かりやすいこと
在宅医療の中で、最も患者さんに近い存在であること
採用難の中で、記録負担の軽減が組織の持続性に直結すること

記録作成にかかる時間は、すでに大きく削減できています。一方で、訪問看護は時間制報酬であり、単純な効率化が売上増に直結しない現実もあります。そのため、採用や定着、連携の質といったアウトカムを丁寧に検証しています。

5年で目指す姿:地域で完結する情報基盤

私が目指しているのは、単一職種向けのSaaSではありません。訪問看護を入口に、医師、介護職へと広げ、地域単位で根付かせていく。

高齢者が地域包括と接点を持った瞬間から、最期を迎えるまで。一つの情報基盤で、その人のことが分かる。

これを、特定の地域で5年以内に形にしたいと考えています。制度の動きとも向き合いながら、現実的に進めていきます。

その先にある課題:専門医不足を在宅で解く

地方では、耳鼻科、眼科、皮膚科といった専門医が不足しています。在宅でも専門的な診療が必要な場面は確実に存在します。

遠隔検査機器の進化により、現地で検査を行い、医師が遠隔で診療するモデルが現実味を帯びてきました。これを日本で形にできれば、今後高齢化が進む国々にも展開できる可能性があります。

信頼の上にしか、医療の変革は成り立ちません

医療は、信頼によって成り立っています。在宅医療は、特にそうです。

だから私は、派手な手法で急激に広げることよりも、現場と向き合い、検証を重ね、積み上げていく道を選びます。

効率化は入口にすぎません。目指しているのは、人と人生に向き合う医療を、現場が続けられる構造を作ることです。

それが、私がこのプロダクトに向き合っている理由です。


※ この記事はnoteにも掲載しています。

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