病院は病気を治す場所、在宅医療は人生を支える場所

病院での医療と在宅医療の違いを、直近まで両方経験している身として、考えを述べてみます。

訪問診療を始めて、最初に戸惑ったのは「正解がない」ということでした。

病院で働いていた頃、医療には常に正解があったように思います。診断があり、ガイドラインがあり、エビデンスがあり、それに沿って治療を組み立てる。患者さんの人生や個性は、もちろん大切にされます。けれど最終的には、医学的に正しいかどうかが判断の軸になる。それは病気を治すための、合理的な仕組みでした。

しかし、在宅医療は、違います。

特に終末期の患者さんに関わっていると、何かをすることで予後が大きく変わることは、正直あまりありません。医療は魔法ではない。治すことが難しい局面は、必ず訪れます。人間はいつか皆、天国に旅立ちます。

そのとき医療者は、何をしているのか。

画一的な正解がない、ということ

在宅医療には画一的な正解がありません。患者さんによって、あるいは判断する医療従事者によって、ケアの内容が大きく変わることがあります。それが難しさでもあり、やりがいでもあると感じています。

例えば、病院ではお酒やタバコは当然NGです。けれど在宅では、もともとお酒が大好きだった方が経鼻胃管で栄養を摂っていて食事ができなくても、誤嚥しない程度に口に含ませてあげたり、唇に塗って風味だけ楽しませてあげたりすることができます。タバコを吸いたい方も、お家であれば吸ってもいい。

施設に入るとこうしたことは一切できなくなります。けれど、お酒やタバコなど、一般的には医学的にはマイナスになる生活習慣を生きがいにしている方もいます。だから「ではお家で見ていきましょう」と、その生活をできるだけ長く続けられるように工夫していきます。

病院の論理で見れば、これらは「正しくない」のかもしれません。けれど在宅医療の現場では、これが正しいのだと思います。人生の最期の時間を輝かしいものにすること、患者さんの希望をできるだけ叶え、本当にやりたいことをさせてあげること。それが、終末期の医療に求められていることだからです。

本人も気づいていない「優先順位」を引き出す

在宅医療の現場では、日々の信頼関係を築く中で、本人の優先順位を明らかにしていきます。

ここで難しいのは、本人が自覚していない想いがあるということです。「何を大切にしたいですか」と聞いても、すぐに答えが返ってくるわけではありません。むしろ、はっきり言葉にできない方がほとんどです。

だから医療者には、カウンセリングに近い能力が求められます。日常の何気ないやり取りの中から、本人の本当のインサイトを引き出していく。「あの人と会いたい」「あれが食べたい」「家に帰りたい」その奥にある、本当に大切にしているものを察知する力。

これは、医学知識とは別の種類のスキルです。けれど在宅医療では、これが医療の質を直接決めていきます。

仮に言語化できる患者さんであっても、信頼していない相手には本音を言いません。まずは一人の人間として、患者さんやご家族と信頼関係を作る力が、病院以上に大切です。

求められているものは、薬や処置ではないことがある

ひとり、印象に残っている患者さんがいらっしゃいます。

脊髄梗塞で下半身が動かず、寝たきり。声帯麻痺と気管切開もあり、食事も取れず、体も思うように動かせず、好きなところにも行けない。頭ははっきりされているからこそ、その状況のつらさをご本人が一番分かっていらっしゃいました。

薬や処置でできることには、限界が見えていました。

けれど、とある連休明けにお孫さんが遊びに来てくれたと話した時には、明らかに表情が明るくまっていました。そこで定期的にお孫さんと会えるように工夫をしたり、「誰かに求められている」という自己承認をご本人が必要としているように感じて、そういう声掛けを意識するようになりました。

訪問看護師さんが誕生日のお祝いをしてくれて、その時に撮った写真をベッドサイドに大事に飾ってくださっている様子を見たとき、意外とこういう心の交流を求めていらっしゃるのだと分かりました。

ご本人の口からは言わないこと。けれど、本人をよく観察し、こちらが試行錯誤する会話の中から、本当に求めているものが見えてくる。

そういう瞬間に立ち会えることが、在宅医療の核心にあるように感じています。

「人生を支える場所」としての医療

病院は病気を治す場所、在宅医療は人生を支える場所——私はそう捉えています。

医療は魔法ではありません。だからこそ、治すことが難しくなった先の時間に、医療者として何ができるのかを考え続けています。

限られた人生をより輝かしいものにするために、一医療者として支えていく。お酒の風味を口に含ませてあげること、お孫さんとの時間を作ること、ベッドサイドに飾られた一枚の写真を一緒に見ること。
医学的には些細に見えるかもしれないこれらの行為の中に、医療の本質があると思っています。

在宅医療には、画一的な正解がありません。

けれど、目の前の一人ひとりに、その人だけの正解があります。

それを一緒に探していくのが、私たちの仕事なのだと思っています。


※ この記事はnoteにも掲載しています。

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